ムスクの香り

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久々にメイクポーチの中身をフル稼働した。

 

 

 

シャドウを塗ってラインを引いて、マスカラもしっかり重ねて、チークでほんのり色づけて。

 

 

 

仕上げにピンクベージュのグロスを唇にのせた。

 

 

 

2ヶ月前まではこれが普通だった。

 

 

 

ただ、いつバッタリってなってもいいようにメイクしただけなのに。

 

 

 

鏡に映る濡れた唇が、なんだが媚びてるみたいに見えてティッシュで拭った。

 

 

 

グロスはまたの機会にしよう。

 

 

 

基本がナチュラルテイストのメイク。

 

 

 

唇が少し寂しくても違和感はあまりない。

 

 

 

脱・干物女、とはいかないけど。

 

 

 

むしろ、脱する気はないけども。

 

 

 

メイクをしただけで、少しいつもよりモチベーションが上がった気がする。

 

 

 

女子力マイナスポイントから、プラマイゼロくらいまではいけたんじゃなかろうか。

 

 

久々のコンタクトは眼鏡よりも視界がクリアで、いつも通りの駅に向かう道も昨日と同じ電車の車両も。

 

 

 

なんだか少しだけ違って見えた。

 

 

 

少しだけ、肩の力が抜けた気がする。

 

 

 

そう思ったのに。

 

 

 

 

 

「………最悪」

 

 

 

 

 

電車を降りた私を待っていたのは、せっかく上がったモチベーションを一気に下げるどしゃ降りの雨。

 

 

 

化粧に時間をとられ、いつもは欠かさず見る天気予報を見逃したとはいえ。

 

 

 

なんでよりによって今日なんだろう。

 

 

 

マンションを出るときは晴れてたのに。

 

 

 

「なんだかな…」

 

 

 

なんて肩を落としたところで雨がやむわけでもなく。

 

 

 

とりあえずは、すぐそこのコンビニで傘を買うしかない。

 

 

 

コンビニまで数メートル。

 

 

 

どしゃ降りの雨の中へ走り出すべく気合いを入れようとした、その時。

 

 

 

派手に鳴り響いたクラクションに出鼻をくじかれた。
もう、と。

 

 

 

心臓に悪い音の発信源に目を向ければ、見覚えのある黒のセダン。

 

 

 

ゆっくりと私の前までやってきた車は、ボディを打ち付ける激しい雨を跳ね返し私の頬に小さな飛沫をよこした。

 

 

 

「早く乗れよ」

 

 

 

少しだけ開けられた窓から私の雇い主が顔を覗かせる。

 

 

 

「すみません…」

 

 

 

窓が閉じられるのを待ってドアを開けると、ムスクの香りが鼻先をくすぐって。

 

 

 

たまに穂積さんからする香りの正体はこれだったのかと、助手席に滑り込みながらぼんやり思った。